世界の底辺からサラリーマンが叫ぶ

できるだけ残業を少なくして、自分の人生を楽しむための方法をサラリーマン20年の経験からお話します。

松本伊代の事とか非寛容な世の中だなと思っている昨今。森博嗣の「夢の叶え方をしっていますか」を読む。

自分もそこそこ他人に厳しいのだけれど、最近はかつてないほどに他人に厳しい世の中になってきたなと思う。

松本伊代が線路で写真を撮った事に異様に怒ってしまったり、雪の影響で列車が遅れてセンター試験に間に合わなくなりそうになった受験生を、タクシーで会場まで送ったJR職員へ非難の言葉を浴びせたり。

後者にいたっては、ちょっと頭の構造を疑うレベルで非寛容さを感じる。

これはSNS全盛時代の影響なのだろうか。

情報はむちゃくちゃ沢山流れてくるし、ちょっとした発信は誰でもできてしまう世の中だから、ついついそこへ労力を費やしてしまうのかもしれない。

森博嗣夢の叶え方を知っていますかをこのタイミングで読んでますますその思いは強くなった。

 

森博嗣は小説家。自分は彼の小説は読んだことはない。どうも推理小説を書いてらっしゃるようだ。

一度だけ小説以外で彼の本を読んだことがあって、それがすこぶる面白かった。

自分を題材にして作家の収支について書いている本。

 

作家の収支 (幻冬舎新書)

作家の収支 (幻冬舎新書)

 

 作家ってはまると儲かるのだなあという、当然の感想も抱いたのだけれど、面白かったのは彼の自由な生き方で、世間のしがらみなんかを容赦なく生きているスタイルが心地よかった。

そんな、自分にとっては夢のような生き方をしている人が夢の叶え方についての本を出したのであれば手が伸びてしまうのは必然だった。

 

 正直、前半はぼんやりした本だなと感じた。

特に編集者がとったアンケートを基に人の夢について論じているあたりは、「そうだよなあ」と思うところはあっても痛快さは感じなくて、それどころか所々では不快な気分になるほどだった。

ただ、夢を論じる前半から、自分を絡めて夢を持つことや夢の叶え方について書かれはじめる中盤から後半にかけてはぐいぐい引き込まれれていくのを感じた。

 

「夢」というのは、コツコツ実現するものであって、「一発当てる」ものではない。 

 確かに、夢を持ってそれに取り組んでいるところこそが夢を持つ醍醐味なのだから、宝くじなんかで一発逆転なんていうのはちょっと面白味がないかもしれない。

一発当てて夢が当たったその後はどうするの?また夢がなくなるけどという感じなのだろう。

 

風邪をひくことはあったが、さいしょに少し喉が痛くなる。そういう場合は(薬は飲まずに)すぐに休む。寝るだけである。早く気づくことが重要 

 自分もこれは実践していて、”やばい”と思ったらなるべく沢山寝て、暖かい湯船に浸かって休息をとるようにしている。これで次の日、何事もなかったかのように仕事をすることができる。

夢を叶えるためには体調管理はかかせないということで、具合悪い中で夢を叶えようと頑張ってもそもそも楽しくないのだろう。

 

「夢」持っていることは、非常に経済的だといえる。節約がいくらでもできる。 

 確かに熱心に取り組むことがあったら、他の事はどうでもよくなってお金は使わないかもしれない。今すぐに家に帰って取り組みたいことがあるのなら、会社の同僚との飲み会など心の底から断ることができる。

会社の同僚との飲み会は夢を叶えることにはつながらないだろうし。

 

子供のときの夢を一つずつ実現していくのが人生だ、と僕は考えている 

子供のときの自分の将来とは、すなわち今、現在なのである 

 ぐうの音も出ない。

子供のとき、早く結婚をして家庭を持ちたいなどと考えただろうか。

子供とき、サラリーマンになって出世をしたいなどと考えただろうか。

 

この本は、夢を持っていたほうが楽しく生きやすいよという事を書いた本だ。

夢の叶え方の本でもあるけれど、楽しく生きる方法の本でもあるような気がする。

サラリーマンとして出世したり、家庭を持とうとしたり、それが人生を楽しくすることとは思えない。

もちろん、最良のパートナーを見つけて、楽しい毎日を送るという事はあるけれど、そんなパートナーに出会う前に、家庭を持つことで楽しくなるなんて願望を抱いている時点で他力本願もいいとこだ。

 

自分自身で自分を楽しませながら生きていく、その燃料として夢ほど効率の良いものはないということをあらためて認識できた本だった。

夢を持って、自分を楽しませながら生活していると、松本伊代が線路に入ったブログを見たところで、なんら憤ることはないだろう。

他人に対する非寛容さは、自分の夢を持つ人が少なくなってきたということなのかもしれない。